ソフトウェア工房孫風雅 インターネット活用 活用の仕方について(応用編1)

インターネット活用の仕方の応用例題です。

ソフトウェア工房孫風雅です。

インターネットの活用の応用例を以下に示したいと思います。
先日、高句麗のシンボルである三足烏について言及しましたが、日本と朝鮮半島の間の同一と思われるアイテムに関するバックグラウンドの確認です。(講師的には同じではと思っていましたが、今回の投稿に際して、初めてインターネット上の情報を基に同一であるかの検証を行ってみました。)

先ず日本での三足烏の伝説の確認です。
インターネットでは日本書紀(720年完成)と古事記(712年編集)に三足烏の日本での呼び名である、八咫烏の記載があるとの説明が検索結果で出てきます。
従って日本では712年に八咫烏:三足烏の言い伝えが始まっているという事になります。

次に朝鮮半島での三足烏の出現は高句麗と同じと考えると高句麗の出現から滅亡までのいづれかの期間と考えられます。確認するとその期間は以下になります。
紀元前1世紀頃 – 668年

年数を確認すると、日本の八咫烏の伝説の始まる前に、既に朝鮮半島では高句麗が存在し、三足烏:八咫烏伝説が朝鮮半島では始まっています。

次に朝鮮半島の国と当時の日本の政府乃至は一部の国が交流があったかを確認します。
実はこの辺は韓国ドラマ(百済の王 クンチョゴワン(近肖古王))で描かれており、交流があったとされています。
これは、国名は高句麗ではありませんが、高句麗と同じ時期に存在した、百済という国の王のドラマです。
百済の歴史(発生から滅亡まで)は以下の様にインターネット上で検索できます。
4世紀前半 – 660年
尚、検索したインターネット上の情報には日本:当時は倭国 と百済との交流があった事が記載されています。
又、当時の倭国は百済国の要請により出兵し、高句麗と戦ったともされています。
朝鮮半島の百済国とは元々高句麗の兄弟国といわれている国で、当時百済国が争っていたといわれる高句麗の国旗である三足烏の旗が倭国に間接的或いは実際の戦いを契機に直接的に伝わってもおかしくは無い気がします。

現在のインターネット上で検索できる情報では、三足烏:八咫烏は朝鮮半島で先に出現し、当時、交流のあった倭国:日本でその後、八咫烏:三足烏としての伝説が記され始めている事が確認できました。


尚、八咫烏は鳥ではなく人との伝説もあるようですが、三足烏同様太陽の化身との説も併記されており、実際のところは?でもあります。

講師の経験が、皆様のお役に立てれば幸いです。

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